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「沖縄100号」海を渡りふる里へ。

「沖縄100号」西表へ 大谷さんに種イモ送る 埼玉のサツマイ資料館Add Star


【有田静人東京通信員】「沖縄100号」海を渡りふる里へ。埼玉県川越市内のサツマイモ資料館(井上浩館長)に保管されている「沖縄100号」が、種芋として竹富町南風見仲在住の大谷用次さん(92)に送られた。
沖縄100号は戦後の食糧難時代の飢えを救いながらも、姿を消したイモで、昨年11月4日付の本紙で収穫の紹介記事を読んだ大谷さんから「種芋を譲ってほしい」と要望があり、種芋1個を送ることになった。
この芋は昭和9年、沖縄県農事試験場で開発された多収品種。味はまずいが、10アール当たり4トンもとれる。戦争で石油の輸入が困難になった時に、ガソリンの代用としてアルコールを造るため、川越市を中心に全国で栽培された。
戦後は、食料の救世主として食用にされたが、食料事情の好転で昭和30年ごろ姿を消した。
大谷さんは、「沖縄100号」に対する思い出が深く、竹富島で青年会活動していた昭和10年ごろ、食料増産のためこのイモを栽培。坪掘り共進会で優秀賞に輝いたことがある。
そのころ島では、畝(うね)たて栽培の習慣はなく、役場の指導で、がじゅまるの葉で作った腐葉土を混ぜて畝たて植えに挑戦。それが見事に賞を獲得、いまだに脳裏から離れないという。
研究熱心な大谷さんは現在、紅いも2種類に大豆なども栽培。主食が芋だという。「私が健康で頑張れるのは、芋のおかげ。種芋を送ってくださった井上館長に感謝。イモ苗を増やして友人や知人に分け、普及したい」と熱意を込める。
井上館長は「ありがたいことです。故郷に帰るわけですから、これを機に普及してほしい。100号の団地ができるといいですね…」と話す。
氏は8月、読谷村で開かれる「サツマイモ導入400年祭」に招かれ、シンポジウムのパネリストとして参加する。

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